第10信 ー 分からなくても ー

2024/10/23

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〈ちょうどいい 着る暮らし〉を創造する
坂口彩香の『ちょお〜ど・いい◎ 通信』  第 10 信
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・2024年10月23日 配信・

– 分からなくても –

故に我々の行為は必然の法則に由りて生じたるにせよ、我々はこれを知るが故にこの行為の中に窘束せられておらぬ。
西田幾多郎 著/善の研究 (1950年岩波文庫)
※窘束(きんそく)…取り囲まれて苦しむこと。縮まる。
 ◇ ◇ ◇
家の近く、歩いて数分のところに『能美ふるさとミュージアム』という郷土資料館がある。
郷土資料館と言ってもここは新しくて、展示も遺跡に関する資料(古墳群のある町なので研究がさかん)だけでなく、自然環境や貴重な動植物、近代的な歴史などについても幅広く学べ、子供の遊び場もあってイベントで賑わう事も多い、活気のあるミュージアムである。
この夏、夏休み期間から9月の末までのみふるで開催されていた企画展示を見てきた。
〔能美の昔の衣服〕


   
衣服の歴史を紹介する展示自体は珍しい訳ではないけれど、内容にはやっぱりその土地の特徴が現れていて、外から移り住んだ私にとってはその意味で興味深い。
また“昔の人が着ていた、今は使われていない形の衣服”は、暮らし方と共に服が変化してきた証としてよく眺め、考えたいのである。
今回のこの展示では、毛皮をなめして防寒着にした時代から、麻や絹などで織布するようになったり、中国服の影響を受けて制服が出来てからの歴史を順々に見ることができた。
マネキンに着せられた再現衣装もたくさんあり、麻袋に赤糸で刺繍をした様な縄文期の服や、昔の巫女装束(シャーマンというのか、ベールや宝石飾りなどが妖しげだった)などはしげしげと眺めてしまった。
今どきは男性なら短髪が主流だけれど、大昔は長い髪を束ねた格好だったとか(切るためのハサミの出現には時間がかかったらしい)、髪型や指輪、耳飾りなどアクセサリーについても付記しつつ解説されていて、なかなかおもしろかった。
また着られる再現衣装もあり、原始的な貫頭衣から上階級の大臣の衣装など色々と着てみることができる様になっていたのも、若い人や子どもの興味を引くようにと趣向が凝らされていて、いいなと思ったところだ。
暑いさなか、ちょっとした合間に見学しただけではあったがなかなか良い体験になった。
   
さて、職業柄も含めて衣服、着るものについて考えることは多いけれど、たまに、足元を揺るがす様な疑問で頭がいっぱいになる時がある。
特に20代はコレに引っかかり、解答を得ないと生きていけないような気がして、考え続けて悶々としていた。
なぜ、人は服を着て暮らすのだろう。
   
ーどうして私たちは服を着るのでしょうか。
この問いかけは、きっと誰でも、幼い頃に大人から聞かれた事があるだろうと思う。
少なくとも私の記憶にはかなり古い、幼い時の事として刻まれている。
そう、たぶん小学校で、この様な問いかけから始まる授業を受けているのだ。
家庭科か、社会科か、いずれにしてもここから出発をして、今まで人類はどんな服を作って、着てきたかという歴史を学んだり、あるいは実生活で使う服の素材の色々や洗濯表示を覚える。
服を着る理由、あるいは目的、意味を、学校で教わっているのである。
   
筆記テストに出たかどうかは覚えていないが、この質問に学校ではきちんと答えが出されていたと思う。以下は、記憶をたどって私見でまとめた解答である。
①身体の保護。
虫や日光(紫外線)や、雨風を直接受けると害になるので、守る。
②湿度や温度を快適に保つ。
①に加えてさらに暮らしやすくする機能である。この辺りは身体的、物理的な話である。
③羞恥。
裸が恥ずかしいという感情によって。ここからは心理的、気持ちの問題である。
④意志や立場の表示のため。
何を着ているかで、社会的な情報を表示する。コミュニケーションや交流の機能である。
    
当時は、そっかぁ、まぁ言われてみれば確かにそうだねという感じで、何事もなく覚え、さらっと次の課題に移ったことだと思う。
一応そこで、この問いには決着がついた気でいた。
だが大人になってから、3号目の通信に書いたように全身の皮膚炎で今までの洋服が着られなくなった事件からの、自分の着るもの事情がひっくり返る経験に次いで、たてやをはじめてから、自分の事としてだけではなくてお客さんの「着るという行為」についても考える必要がでてきた。
大げさに言うと、やっぱり着る動機や理論のようなものが気になってしまい、妙に不安でいられなくなってしまったのである。
それで、改めてこの問いを見直してみると、どうも解答が変だという事に気が付いたのが数年前、それから疑問を考え出し、少し進んだのがここ最近である。
   
衣服史・服飾学といった関連の書籍をあたった事もあるが、「どんな風に着てきたか」はみてとれても、私の疑問が晴れるような気配がしなかった。
と言うのも、初等教育で、学校で習ったような一般的な理由や目的は、どうしても私には後付けに見えるのだ。
後付けというのは、理由はわからないのだけれど、潤滑な生活のためには「こう言うわけで」と納得しておきたい、なのでどうにかして、周りの人とも共有できるくらいの体裁のいい理由、つまりは便利な理由をがんばって出しましたというような、そんな匂いがするのだ。
①身体の保護。②温度や湿度の調整。
服を着ない動物たちは、みんなそれぞれに外界との境界〔皮膚〕を、それだけで生きていけるようにたくましく形作っている。
クマやキツネの毛皮、魚の鱗、鳥の羽毛、カブトムシの甲羅(正しくカブト)、など、バリエーションが豊かなのは言うまでもない。
人も、大昔は今よりもっと皮膚自体も厚くて毛深かったらしいから彼らに近かったのかも知れない。
つまり、服を身に付けなければ身体を守れない、というのはそのような身体に作っていったからであって、最初からそうだったわけでは無さそうなのである。
身一つで生きていけるようにならなかったのは、何故なのか。
これが問題なのである。
③羞恥。
恥ずかしいと思うのは、「恥ずかしい」と「恥ずかしくない」という感情がある世界を生きているからなのだけれど、裸は恥ずかしいー自分が裸でも、他人の裸に遭遇してもーと思うのは、何故なのか。
恥ずかしいとも、恥ずかしくないとも思わない、何とも無い状態になる事もできたのではないか。
なのに、そうならなかったのは何故なのか。
これが問題なのである。
④社会的な意味。
これについても同様で、個体や性別の識別、意志や立場の表明は衣服でなくても出来る。
動物やあるいは植物も、匂いや身体から出す音や声でお互いを識別し、交流している。
かなりの時間(日数)をかけるが、大人になると毛色が変わる動物もいたりする。
「見た目」で識別をしようとすると、土を身体に塗ったり髪の毛をいじったり、花や鳥の羽根を付けたり、、その様な行動から始まったのであろう。
皮膚や毛の色を変えたりなんかよりずっと早く、取り替えの出来る衣服は、便利で有効だけれども、そうまでして人は何をしたかったのか。
これが問題なのである。
他の生態にもなれただろうに、何故着ることになったのかと言う事が問題なのである。
   
これはけっこう強大な謎である。
特に「恥ずかしい」を鍵として取り上げたけれど「言葉」の世界は殊に深い。
コレについて考え始めてしまうと、何というか身動きが取れなくなってしまう。
ひどい状態になると、日常生活が円滑に送れないのである。
足元を揺るがす様な疑問と最初に書いたのはそう言う訳で、答えにはなっていないけどどうにか不安をおさめようとして、体裁のいい理由を「後付け」した先人の気持ちも、よく分かるのである。
   
でも、不思議なことに、これも私たちの生態で、何故なのか分からなくても生きていけるのである。
本当の事情が分からなくても、なぜ自分たちが着るという生態になったのか分からなくても、十分に楽しく暮らして、快適に、幸せに一生を送ることが、どうも出来るようである。
それは、よく考えて「何故なのかは、分からないんだ!」とひとりでビックリするー 知る ーことから始まるのが、本当に楽しい、味わい深い人生だということを先哲から学ぶことができたからで、その感動をもってこう言いたいのである。
この様なことを考えた事がある人もない人も、安心して、それなりに好きなように服を着て、暮らしていける。
   
   
なぜかは分からないけれども、人生あるいは日常生活のうち、着るという行為で色々な目的をなし得ている私たちにとって、何を着るか、どう着るか、という事を考えるときには、理想がきっとそれぞれにあると思う。
基本方針というか、合否の判断の基準とでも言おうか、材質や色柄、価格、形などについて漠然とでも指標を持っていて、経験に応じて更新されているはずだ。
それを総合して「どんなものか」ともし言おうとするなら、私は、いつも言う「ちょうどいい」にまとめられるのではないかと思う。
「気持ちがいい」とか「幸せな気分になれる」とか、近い表現もあるが、場をわきまえるという気をつけ方、つまりTPOとぶつかる可能性について配慮がない。
「ふさわしい」「身の丈に合っている」もかなりイイところまできているが、文学的でちょっと距離があるというか、「着る」は身体の快・不快にも密接だから口から出てくる自然な言葉、つまり話し言葉のほうがふさわしい気がする。
と言う事で、私が細かいところを取っ払って丸めると、こうなる。「ちょお〜ど・いい◎」
「ちょお〜ど・いい◎」の中味は人それぞれであり、刻々と変わるものでもある。
また人それぞれでありながら、共通することがあり、〇〇がちょお〜ど・いい◎人が増えていると言った様な、社会的な動きもある。
その姿が面白いのである。
だからこそ、自分に、また色々な人に問いかけ、その姿を見つめていきたいのである。
    





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お知らせ
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新保屋での開店日
⚫︎10月27日(日) 金沢マラソンが開催され、市街市で交通規制のある時間帯がありますので、お越しの際は交通状況をご確認の上、お気をつけてお越しくださいませ。
時間:10〜16時
⚫︎11月は24(日)を予定しています。
謝恩企画
通信の会員様限定の、creemaで使える送料分サービスクーポンは今月いっぱいまでのご利用となっております。
福袋だけでなく単品購入にも使えますので、ぜひご利用ください✨
クーポンコード等詳細のご確認は、通信アーカイブの10/1配信〔*謝恩企画のお知らせ〕をご覧下さい。
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編集後記
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唐突なご縁で、京都のある工房に体験研修に行くことになりました。
前から興味のあった特殊な仕立て物を体験できるとあって、ちょうど今日から2日間の日程で行ってきます。
バリバリ本職の(?)工房さんなのでレポートが出来るかは分かりませんが、しっかり勉強してきます!
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次回は11月27日(水)配信の予定です。
どうぞお楽しみに!
ではまた、お目にかかります。
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ふく拵え たてや
主宰・和裁士/坂口 彩香
石川県能美市寺井町
メール:tateya.wfk@gmail.com
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